白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

2回目の退院その1

帰宅と通院について

5月22日に私は、ようやく2回目の退院をすることが出来ました。

この時の血球数は

WBC 1550

Hb 8.8

Pl 67000

でした。

次の診療は5月27日に血液検査でチェックすることになりました。診療の予約票を貰い、その翌週は5月30日から6月3日まで5日間連続で通院で抗がん剤ビダーザの投与をする予定だと説明を受けました。中3週の予定が思わぬ入院でなか5週に伸びていましたが、大丈夫のようでした。点滴は3階の化学療法室という所で受けるので、退院前に場所を確認してくださいと言われ、退院の日の朝に、私は看護師さんに連れられて、化学療法室の場所の確認と中の見学をさせて貰いました。中はリクライニングソファーが10却位並んでおり、それぞれカーテンで仕切られていました。ソファーにはテレビが備え付けてあり、国際線の飛行機のビジネスクラスみたいな感じです。ここで5日間毎日1時間かけて点滴を受ける事になります。一通り説明を受けて病室に戻り、荷物を整理して家内の到着を待ちました。11時頃、迎えに来てもらって、ナースステーションにいる主治医と看護師さんに挨拶をして病院を後にしました。

帰り道はやはりラーメンです。(笑) 山形県民はラーメンです!

帰宅すると愛犬は尻尾を振ってすり寄ってきました。今度は覚えていたようです。

前回に書いた通りですが、弟とHLAの型が一致したので、あとは移植を待つことになります。移植は無菌室の空き状況を見て日程を決めるとの事で、早くても7月末くらいからになりそうだと主治医からは告げられており、今度は感染症に十分注意して移植まで待つことになりました。

内科の検診は抗がん剤点滴の5日間、それと2週間目の金曜日と決められ、4週で6日は受診しなけrばなりませんでした。また、歯科の経過観察も週に1回あったので、月に10日は通院することになります。したがって、退院はしたものの会社は休みっぱなしでした。会社の人事と健康管理室にはこの内容を説明し、移植が終わり副反応が落ち着くまで休業とさせて貰いました。同時に、限度額申請更新手続きと傷病手当金の申請の手続きをしました。入院はもちろんなのですが、通院での抗がん剤の投与の費用も高額で、限度額を超えた分は後日返ってくるのですが、支払いとしては建て替え払いをしておかなければなりませんでした。

かかった医療費に関しては、後日改めて整理します。

次回は、通院での抗がん剤投与についてです。

 

入院2回目その4

主治医からの連絡

5月13日に主治医がやって来て、「いいお知らせです。弟さんと白血球の型が完全に一致していました。」とHLA研究所からの速報のFAXを持ってきてくれました。兄弟間での完全一致の確率25%でしたが、幸運なことにこの25%をクリアしました。不一致の場合はドナーを探すか、臍帯血の移植になるか、いずれにしても一致するドナーが見つかるまで待たなければなりませんでした。弟と一致したことで、一気に治療の道筋が見えた気がしました。

ドナーを待つことは、白血病患者にとってかなり厳しい事です。時間との戦いで、血球数が急変したり、肺炎や敗血症のリスクとも戦わなければなりません。

うれしかったことは、弟とHLAの型が一致したこともうれしかったのですが、最初の入院の時、会社の保健師さんがお見舞いに来てくれて、社内報に公表してもいいかどうか聞かれ、理由を聞くと、私の事をきっかけに骨髄バンクに登録を呼びかけたいと言う事でした。私の事を気遣ってくれている事はもちろん、この病棟にいると、同じく移植を待っている人が結構いて、その人たちのためにもなるかもしれないと思い、同意しました。社内から数十人が登録したと聞いて、うれしくなりました。骨髄バンクから褒められたそうです。他人とHLAの型が合う確率は10万分の1とも言われますが、万に一つもあり得るわけで、一度に数十人の登録はめずらしく、感謝されたそうです。

みんな、ありがとう。

ようやく奥歯の痛みから解放されて、点滴のチューブも外してもらえたのは抜歯後1週間を過ぎたあたりでした。そのころには熱も治まり、危ない状態からは脱したと実感していました。5月19日の血球数は

WBC 1620

Hb 9.7

Pl 80000

といった感じで、炎症反応も0.9くらいまで下がっていました。

抜糸後の消毒を念入りにするためにまだ、少し入院と言われていました。毎日、歯科診察室に通い、消毒を受けてました。もう少し様子を見てから退院と言われていました。

次回は退院後と通院での抗がん剤治療について書きます。

 

入院2回目その3

奥歯の腫れ

さて、前回まで、奥歯を抜歯した所まで書き綴って来ました。

抜歯後は食べ物や飲み物が抜歯した所の穴に入らないように、カバーのマウスピースを常時していました。また、食後は歯磨きとうがいを念入りにして口内の細菌の繁殖を抑えます。歯茎を縫い合わせたところを抜糸するまでは毎日歯科診療を受け、消毒と抗生剤の塗布を受けてました。

3日目くらいからマウスピースを固定しているブリッジが痛く感じるようになったので、歯科の先生に聞いたところ、もう外してもいいでしょう、という事でまた妙な痛みから解放されました。2日目3日目ともにうがいの時、出血は治まったように思えましたが、4日目にうがいしたところ、5mmくらいの血の塊が出てきて、少し出血しました。この血の塊みたいなものは6日目にも出てきて、出血するを繰り返していました。自分ではやっぱり血が止まらないのかと心配していましたが、それ以降は出なくなりました。その後も、毎日歯科受診して消毒も引き続きしていました。

抗生剤も利いていたのか、1週間もすると熱も下がり、奥歯の腫れている感覚も引いてきました。熱が下がった事で体もだいぶ楽になり、また1階のコンビニに行くとかができるようになりました。

恐るべきは感染症

白血病になって、この病気についていろいろ調べていくと、感染症が原因で肺炎になってしまったり、敗血症を引き起こしてしまったり、と言うのが多くの場合の死亡原因になることを知ってはいましたが、まさか虫歯がここまで発展するとは思いもしませんでした。実際にCRPと言う炎症を表す数値で6.0とか重症だったようです。白血球数も少なかったので、適正な抗生剤の投与がなければ命に関わっていたかもしれません。感染症には十分注意していたつもりでしたが、今回のような虫歯は私自身想定外でしたので、この後歯磨きを念入りにするようになりました。

 

抜歯後、10日ほどで抜糸をしました。(なんかややこしい表現ですみません)歯根の穴はぽっかりと開いた状態でしたが、穴の奥の副鼻腔への貫通は無かったようで、まずはめでたしでした。穴は自然とふさがっていくとの事で、食べかすなんかが入らないように注意してください、と言われたのですが、なかなか難しく食事後は歯磨きうがいの習慣が付きました。

 

次回は2回目の退院と、うれしいお知らせがあった事についてです。

 

 

入院2回目その2

歯の痛みと腫れ、熱との戦い

入院して1週間ほどは、抗生剤と解熱剤の投与で熱は上がったり下がったりを繰り返していました。血液検査の結果も、

WBC 1100~1300

Hb 8.7~9.2

Pl 7000~8000

と低空飛行です。

熱は37度から38度を行ったり来たりの状態が続いていました。

毎日、歯科の治療を受けるのですが、消毒と炎症止めの薬の塗布が続きました。歯科の先生も血液のデータを見ることが出来、私の体調と血小板の数値を見ながら治療を進め、熱が下がって、血小板の値が上がってくるタイミングを見計らっていました。私自身、虫歯が原因で敗血症でもしかしたら命を落とすかもしれないという、白血病の怖さを改めて感じていました。

いよいよ抜歯

入院から9日目にようやく血小板の数値が9000を超え、熱も37度前半で推移するようになった所で、「虫歯の治療も可能かもしれませんが、削ってみないとどこまで浸食されているかわからないので、抜歯しますがいいですか。」と説明を受け、痛みから解放されたい一心で、お願いしますと答えると、「では、本日抜歯します。」という事で抜歯が始まりました。なるべく出血しないように抜きますが、止血が上手くいかない時は血小板の輸血になります。と言う説明を受け、同意して抜歯に入りました。奥歯の周りの歯茎に麻酔を受け、その後抜歯にかかります。奥歯は物の10分で抜くことが出来ました。抜いた後に出来た穴にまずは止血をした後に、消毒と化膿止めを注入し、脱脂綿で蓋をして縫い合わせ、治療は完了しました。その後、抜いた所をカバーするマウスピースを作るために型を取り、取り終わるとまた脱脂綿を噛ませられて止血していました。抜いた歯を見せてもらったのですが、歯根のところが見事に真っ黒の虫歯で、抜いて正解だったようです。

1時間くらいでマウスピースが出来上がり、うがいをしてからそれを付けて病室に戻りました。うがいをした感じでは、あまり酷い出血では無かったので、少しほっと出来ましたが、歯根が深かったらしく副鼻腔に貫通している可能性があろとの事で、3日間鼻かみ禁止と言われました。もし鼻血が出た場合は速やかに耳鼻科を受けてくださいと、恐ろしい事も言われ、鼻で息するのも注意しながらでした。

抜歯した後も抗生剤の点滴は続いてました。熱は37度前後の微熱程度まで治まってくれました。何よりもズキズキ痛かった奥歯が、違和感はあるものの、痛みが和らいだのが救いでした。

次回は奥歯の抜いた後の回復の状態を書きたいと思います。

また、同じ病気で不安な方、質問などありましたらコメント欄に書き込みしてください。わかる範囲、経験した範囲でお答えいたします。

 

 

入院2回目その1

血液検査

さて、前回は発熱し奥歯が痛くなって救急外来に受診した所まで書き進めてました。

最初、当直の一般内科の医師はインフルエンザを疑っていましたが、検査の結果、陰性でしたので、発熱の原因を探るべく採血しますという事になり、2か所から採血しますという事で、腕の静脈と、足の付け根の動脈から血液を採取しますという事になりました。腕からの採血については慣れていてあっけなく終わったのですが、足の付け根の動脈からの採血と言うのは初めての経験でした。この動脈からの採血と言うのがものすごく痛く、物の2分くらいだったと思いますが、かなり長い時間に感じました。違う場所から2本採る理由は、皮膚表面についている細菌と、血液中の細菌とを区別するためのようでした。細菌やウイルスの種類を特定し、最善の抗生剤の選択をするためだと後から聞きました。

同時に、院内の第3内科の医師と連絡を取って貰い、第3内科の医師も駆けつけてくれての診察になりました。この日の第3内科の医師は血液専門では無く、神経系の医師でしたが、私の主治医と連絡を取って下さり、まずは解熱剤の点滴をつながれました。

血液検査をしている間、院内の歯科の医師にも連絡を取って下さり、私は点滴に繋がれたまま、歯科診療室まで連れていかれました。まずは、歯のレントゲン写真を撮って、その後奥歯の診察になりました。診察の結果は、右上の奥歯の付け根あたり(ちょうど歯周ポケットと呼ばれているあたり)、化膿しているという所までわかりました。応急的に虫歯になっている所の消毒と抗生剤の軟膏を塗ってもらい、今後どうするかは私の主治医の意見を聞きながら治療方針を決めるという事で一旦診療を終わりました。

待合室に戻ると、第3内科の医師に呼ばれ、結果的にはひどいウイルスや菌ではなく通常の虫歯菌が検出されただけでしたと告げられ、高熱もあるので、入院してください。と告げらました。白血球数が少ないため、通常では体内に入って来てもやっつけられるはずの菌が悪さをしているようでした。免疫が低くなるという事がこんなに恐ろしいと思ってもいませんでした。

結局、この日はそのまま入院となりました。。。

病室に入ると、また、窓側のベットに案内されました。せっかく4日前に退院したのに戻ってくるとは思ってもいませんでしたが、血球数からしても当然の処置だったようです。歯科の治療が始まるまでは、解熱剤と抗生剤の投与を受けていたのですが、もう虫歯を治療するのではなく、抜いてほしいと思っていました。解熱剤には痛み止めも入っていたと思うのですが、鎮痛薬のロキソニンも処方して貰ってました。

とにかく痛いので、一刻も早く抜いてほしかったのですが、血小板の数値が低く(60000)、抜歯した後の止血がうまくいくかどうか、白血球数も低かったので化膿しないかどうか、様子を見ながらの治療となりました。

翌々日の6日には主治医も診察してくれて、「大変でしたね。でも、救急で入院したのは正しい判断でしたね。」と声をかけてくださいました。歯科の先生とも相談した結果、血小板の値が上がった時に抜歯をしましょう、という事になりました。白血球数も低かったので、抗生剤を併用し、止血がうまくいかない場合は血小板の輸血も考えます。との事でした。

恐るべし白血病。「たかが虫歯で高熱が出て、放置していたら死ぬんじゃないか?」と思いました。

2回目の入院生活が始まりました。 続く。

 

1回目の退院、自宅療養その1

5月1日~4日の自宅療養

さて、一旦自宅に戻り、1.5か月ぶりに家族全員が揃いました。病院では他の患者さんもいたので、あまり大きな声で会話は出来なかったのですが、家に帰ってくると心置きなく会話ができます。私が入院中に子供たちは進級し、下の息子は受験生になりました。父親が大病していての受験勉強も身につかなかったのではないかと心配しましたが、そんな事はなかったようです。楽天的な所は私譲りかもしれません。

また、帰宅した時、愛犬がしばらく寄って来なかったのにはちょっとショックでした。でも、彼はしばらくすると身体を摺り寄せてきて、いつも私が帰宅するとやる、ご主人様お帰りなさいという態度を取ったので、思い出したのか、警戒していたのか、笑える出来事でした。

退院したと言っても、完治したわけではなく、まだ病人です。室内では空気清浄機を常時回し、外出の際はマスク、帰宅したら手洗いを徹底していました。また、ペットとの接触も本来極力避けなければならなかったのですが、ご主人様を思い出した愛犬は構って欲しくて甘噛みしたり、悪戯します。一通り遊んだ後、良く手洗いして感染症対策をしていました。

あと、ダメと言われてた内容ですが、土と接触する庭いじり、食べ物では生もの、納豆などの菌類は控えるようにとの注意を受けてました。それでも、時々、ヨーグルトを食べてみたり、納豆を食べたりしてました。

入院中とは違って、とりあえずマスクさえすれば外出も自由でした。本屋、ホームセンター、レンタルショップ、楽器屋、などに行ってました。ちょうどゴールデンウイークという事もあり、焼肉屋に外食に行ったりしていました。

何か調子悪いな。。。

調子に乗っていた5月3日、昼食後から右上の奥歯に痛みと言うか、違和感を感じていました。ちょっと怠いかもと思い熱を測ると38度あります。退院後も抗アレルギー薬や、抗生物質、胃薬、ビタミン剤などを処方されていたので、まずは指示通りの薬を飲んだ上で、その日は解熱剤も飲んで安静にしていました。

翌日、5月4日、奥歯の痛みは引く所か増してきました。発熱も39度まで上がり、かなりしんどい状態でした。これはマズイと思い、休日でしたが、朝、病院に電話を入れると救急診療の窓口まで来てください。との事で、家内に連れて行って貰います。救急診療の待合室は結構具合の悪そうな人たちで混んでいました。電話していた旨を伝えると、待合室の奥の方の空いている所で待つように言われました。

1時間くらい待って、診察が始まります。病院についても熱は39度のままでしたので、休日担当の医師はインフルエンザを疑っていました。私は、奥歯の痛みから、虫歯の菌が悪さしているのではないかと医師に伝えましたが、まずは念のためインフルエンザの検査を受けます。診察中も寒気がして、ベッドに床になった状態でした。インフルエンザを疑うのは当たり前でしたが、検査結果は陰性でした。

この後、いろいろと検査をして結果的に再入院となるのですが、次回に続きます。

 

入院1回目その7

4月24日~5月1日

さて、前回は抗がん剤2回目が無事に全部終わったところまで書き進めました。終了後の薬の効き方について少し書きたいと思います。

7日目に投与が終わった段階で手首の点滴のチューブも外れ、自由に病院内をまた探索していました。感染症予防に抗生剤と胃があれるのを防ぐ胃薬は引き続き飲んでいました。1回目の投与の時同様、血球数の推移は

WBC 1100~1800 まで上昇

Hb 9.7~9.2~9.8 横這い

Pl 80000~90000

と、数値上は少ないながらも少し回復したように思えました。

ただし、白血球中の球芽が16~33パーセントと高く、実態は病気の進行を止めているくらいのものでした。

入院生活も1か月を超えると、周りの患者さんが退院したり、無菌室に移動したりで、病室は私を除いてほぼ入れ替わっていました。無菌室に移動する患者さん、すなわち移植を受ける患者さんで、移動前に首に点滴用のカテーテルを取り付けられていました。つけられた日は麻酔が切れると痛いらしく、寝返りの時など辛そうでした。私はこんなつらい目には逢いたくないので、抗がん剤寛解してほしいと思っていたのですが、現実は前述した通り、球芽(異常な白血球細胞=がん細胞)がなくなることはありませんでした。

月水金の採血の値も白血球数は徐々に上がっていたので少しは希望を持っていたのですが、間違いでした。教授回診の時に移植が必要との見解を貰いました。

ドナーを探さなくては。もう、覚悟を決めるしかないと思いました。私には弟が2人いるのですが、そのうち1人は海外赴任中ですぐには検査出来そうにありません。もう1人の下の弟は近くに住んでいたので、まずは下の弟との白血球のマッチング検査をすることにしました。検査は院内では出来ず、京都にあるHLA研究所という所で検査します。口の中の粘膜を大きい綿棒で取り、それを密閉して発送します。兄弟間でも一致する確率は4分の1でしたので、一致しなかった時の事も考えなければなりませんでした。いろいろ調べると、フルマッチの移植が一番成功率が高い事がわかっていたので、祈る気持ちでした。検査の結果は数週間かかるとの事で、待つしかありませんでした。

突然の・・・

突然、4月29日に主治医と教授から一旦退院の話がありました病状としては、白血球が急激に多くなるような事が無い事、球芽の推移が変動はあれ少ない事で、まずはいったん退院の許可が下りました。入院中に、食べたかったそばとかラーメンとかまた食べられると思うと、うれしい反面、4週に1週は通院で抗がん剤を受けなければならないのがちょっと不安でした。風邪をうつされたり、発熱が出た場合はすぐに戻っていいと言う事でしたので、5月1日に退院しました。

入院前は最低3か月くらいの抗がん剤による入院治療と言われていたので、拍子抜けした感じでした。

退院の日は帰り道にラーメン屋に寄って帰りました。

 

次回は退院後について書きます。