白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

入院1回目その7

4月24日~5月1日

さて、前回は抗がん剤2回目が無事に全部終わったところまで書き進めました。終了後の薬の効き方について少し書きたいと思います。

7日目に投与が終わった段階で手首の点滴のチューブも外れ、自由に病院内をまた探索していました。感染症予防に抗生剤と胃があれるのを防ぐ胃薬は引き続き飲んでいました。1回目の投与の時同様、血球数の推移は

WBC 1100~1800 まで上昇

Hb 9.7~9.2~9.8 横這い

Pl 80000~90000

と、数値上は少ないながらも少し回復したように思えました。

ただし、白血球中の球芽が16~33パーセントと高く、実態は病気の進行を止めているくらいのものでした。

入院生活も1か月を超えると、周りの患者さんが退院したり、無菌室に移動したりで、病室は私を除いてほぼ入れ替わっていました。無菌室に移動する患者さん、すなわち移植を受ける患者さんで、移動前に首に点滴用のカテーテルを取り付けられていました。つけられた日は麻酔が切れると痛いらしく、寝返りの時など辛そうでした。私はこんなつらい目には逢いたくないので、抗がん剤寛解してほしいと思っていたのですが、現実は前述した通り、球芽(異常な白血球細胞=がん細胞)がなくなることはありませんでした。

月水金の採血の値も白血球数は徐々に上がっていたので少しは希望を持っていたのですが、間違いでした。教授回診の時に移植が必要との見解を貰いました。

ドナーを探さなくては。もう、覚悟を決めるしかないと思いました。私には弟が2人いるのですが、そのうち1人は海外赴任中ですぐには検査出来そうにありません。もう1人の下の弟は近くに住んでいたので、まずは下の弟との白血球のマッチング検査をすることにしました。検査は院内では出来ず、京都にあるHLA研究所という所で検査します。口の中の粘膜を大きい綿棒で取り、それを密閉して発送します。兄弟間でも一致する確率は4分の1でしたので、一致しなかった時の事も考えなければなりませんでした。いろいろ調べると、フルマッチの移植が一番成功率が高い事がわかっていたので、祈る気持ちでした。検査の結果は数週間かかるとの事で、待つしかありませんでした。

突然の・・・

突然、4月29日に主治医と教授から一旦退院の話がありました病状としては、白血球が急激に多くなるような事が無い事、球芽の推移が変動はあれ少ない事で、まずはいったん退院の許可が下りました。入院中に、食べたかったそばとかラーメンとかまた食べられると思うと、うれしい反面、4週に1週は通院で抗がん剤を受けなければならないのがちょっと不安でした。風邪をうつされたり、発熱が出た場合はすぐに戻っていいと言う事でしたので、5月1日に退院しました。

入院前は最低3か月くらいの抗がん剤による入院治療と言われていたので、拍子抜けした感じでした。

退院の日は帰り道にラーメン屋に寄って帰りました。

 

次回は退院後について書きます。