白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

3回目の入院その14

Day19-21 回復に向かう

さて、前回は少しずつ体調が良くなって来たことを書きましたが、その続きです。

まずはデータですが、

WBC 2500~4500

Hb 9.2~9.8

Plate 90~100

を行ったり来たりしていました。ようやく造血細胞が定着してきてくれたようです。

ここまで口内炎とか下痢とか発熱はあったものの、急性のひどいGVHDらしきものは発症せずに来ていました。

CRPも1を切って来て、ようやく気分も晴れてきているのがわかりました。顔もバンバンに腫れていたのが少しづつ引いて来ていました。

ちょっと気になっていたのは脇腹辺りが少しかゆいのと皮膚が黒ずんできている事がありました。主任教授はこの黒ずみを見て、「いい色に焼けてきましたね」と言っていましたが、その時はそのあとに襲ってくる恐怖など知る由もありませんでした。

主任教授とは年代も近い事もあり趣味が合うというか、学生たちの知らない世界の話で盛り上がれる関係でした。アメリカの話題、数学の話題、ヘミングウエイ、など、同じような趣味でした。学生を連れて回診に来ると病状の話よりかは趣味の話の方が多かったと思います。

「ようやく3週間目にして定着してきたことで一安心、順調です。」との言葉をいただいたのですが、そのあとが大変なことを教えてはくれませんでした。

下痢もだいぶ収まり、100%ジュースとか果物の缶詰などをすこしづつ口に入れ始めていました。味覚障害の為、味はさっぱりわからなくなっていましたが、飲めること、食べられることに喜んでいました。

次回は恐怖のマルク(4回目)についてです。

 

3回目の入院その13

Day16-18

さて、前日、治療の中で一番きつかった時期と書きましたが、16日目あたりからは徐々に回復に向かっていきます。

まずは18日目のデータです。

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抗生剤などがかなり効いてくれてCRPが1.61まで下がってきていました。それでも高い数値ではあるのですが、20以上を記録した事を思うと体はだいぶ楽になってきていました。体温も37度台まで下がって来ていて、日中起きている時間が長くなって来ました。口内炎は相変わらずでしたが、咽喉の炎症が収まり、水分を口から補給できるくらいまでなっていました。

ようやくテレビを見たり、タブレットYou Tubeを見たりできるようになって来ました。文庫本もだいぶ持ち込んでいたのですが、文字を見ると目がしばしばになるので、読む気にはなれませんでした。

前にも書いたかもしれませんが、入院に先立って、レンタルのポケットWi-Fiを借りていました。月額5000円くらいだったと思いますが、まずは2か月契約し、無制限で使えるのはかなり重宝しました。

ふと、指の爪を見ると爪がぼこぼこになっている事に気が付きました。主治医の話では抗がん剤の影響でしょうとの事でした。看護師さんからの情報では爪がはがれる人もいるらしく、その話を聞いて恐怖におののきました。結局、はがれることは無かったのですが、爪の変形は3か月ほど続きます。恐ろしや抗がん剤。。。

それとこの頃から指先の感覚が無いというか、軽い痛みに苛まれました。ペットボトルのキャップを開けるのに苦労し始めていました。

咽喉の炎症が収まり、話をする事も出来るようになったのがうれしかったのを覚えています。日中暖かい時にシャワーも浴びれるようになり、すっきりした気分で少しづつ回復を実感していました。

白血球数も3000を超え、ようやく造血細胞が定着してきたと思います。輸血無しでも血小板の数値もヘモグロビンの数値も上がって来ていました。

また、次回に続きます。

3回目の入院その12

Day14-15 輸血で命を繋ぐ

さて、12日目あたりからのピークが続いていましたが、回復まではまだまだでした。

14日時点での血液のデータは、

f:id:Diehard1:20180218130215j:plain血小板が極端に不足してました。まったく自覚症状は無いので、検査してみないとやはりわからないものですね。早速、その日のうちに血小板の輸血を受けます。

CRPの数値もまだ8.01で、8日目あたりの20とかの数値よりかは下がった来ていましたが、相変わらず熱と口内炎とのどの痛みと腹痛に悩まされていました。痛みに耐えながら、ほぼ1日眠っていたと思います。

食事もとれないため、点滴での栄養補給で生かされていました。点滴タワーには生食、CSF、免疫抑制剤ブドウ糖モルヒネが常時つながれていて、時間で抗生剤、が追加されていました。熱が上がると解熱剤の点滴も追加され、点滴タワーはすごい重さになっていました。トイレに行くとき、倒さないように慎重に転がさなければなりませんでした。今思えば、自力でトイレに行けていたので、意識を失う事が無かったんだなぁ、などと思います。

今でもはっきりと覚えていますが、この頃に眠っていて夢を見ていたのですが、無邪気な子供の頃の夢を見ていました。それも何回もです。いつもトイレに行くところの夢で目が覚めるのですが、目が覚めてまずトイレに行くのが癖になっていました。お花畑の夢じゃなくて良かったのですが。。。天使が出てくる夢も見たのを覚えています。

抗生剤とか、いろいろな薬と輸血によって、苦しかったのですが何とか2週間を経過することが出来ていました。最初の主治医の説明ではそろそろ新しい幹細胞が定着する頃でした。

献血されている皆さんには本当に感謝感謝です。同じ病気を戦っている人たちも同じ気持ちと思います。

この辺りが入院治療の中で、一番きつかった時期でした。次回からは徐々に回復していく様子を書きます。

3回目の入院その11

Day11-13 無限地獄

まずは血液のデータから紹介します。

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前回、書き込んでいた通りですが、この頃も白血球の数値が上がらず、身体は言う事を聞いてくれない状態でした。ヘモグロビンも、血小板も超低空飛行で、まだ造血細胞が復活していない事を物語っていました。CSF(白血球増加剤)の投与も始まっていたのですが、定着まではもう少しかかることになります。

一人だけの無菌室で泥のように眠っていたと思います。口内炎もなかなか治らず、水を飲むのも一苦労でした。熱も38度近辺を行ったり来たりで体はだるく、ベッドから出るのは、トイレとうがいの時くらいでした。肺炎予防薬のバクタでアレルギーが出た為飲めなかったので、誤嚥しないように用心しながら水分を補給しなければなりませんでした。

言葉を発する事もままならず、筆談で医師と看護師さんとコミニュケーションをとっていました。家族が来ても話をする気にもならず、とりあえず話を聞いてうなずいてました。

まあ、病人なのですが、本当に死にかけの時って、こんななんだろうかとかおもっていました。かなりぐったりと寝ていたので、あまり記憶にないのですが、この時期あたりが一番つらかったように思えます。

 

話は飛ぶのですが、昨日、2月の検診に行ってきました。結果は各血球の数値はほぼ正常で、順調に回復してきているとの事でした。ただしまだ免疫抑制剤は1日40mg飲んでいます。問診している中で、GVHDも悪化していない事もあり、ワクチン接種の話題が出てきました。春ころから子供と同じようなワクチンの接種を受ける事になります。(笑) やはり、水疱瘡とか、はしかとか、風疹とか、その他もろもろの免疫が無くなっているとの事でした。 

予防接種が終われば、本当に元の体に戻れると思うと、なんか感激と言うか、健康のありがたさと言うかしみじみ感じますね。本当に医師団、看護スタッフの皆さんには改めて感謝です。

このブログを始めたきっかけもそうですが、生きるか死ぬかのこの病気を通して私自身人生についてよく考えるきっかけとなりました。また、本当に苦しいのは病人本人もそうなのですが、心配している家族や仲間も苦しい、という事もわかりました。

この病気は、予防しようがないのですが、やっぱり健康って大事ですね。

また続きます。

3回目の入院その10

Day8-10

さて、Day5あたりから毛が抜け始めていましたが、Day8にはほとんど抜け落ちていました。抜けた毛が枕とかについてしまうので、コロコロの粘着テープでベッド周りを掃除していました。丸坊主にしていたものの、短い毛がチクチクするので2時間おきくらいに掃除してました。

髭が生えなくなったので、髭をそる手間はこれから約2か月間なくなりました。

また、唾液が出ないので、いつも水分を補給していました。と言っても、ミネラルウォーターかお茶か、ポカリスエットかで、小さいボトルで買ってきてもらったものを開封したら、4時間以内に飲まなければなりませんでした。

白血球が無いのと、唾液が出ないせいもあり、口内炎が悪化していきました。Day6辺りからしゃべれない状態になり、抗生剤の投与を受けていたのですがDay9には鏡を見て顔が腫れている事に気が付きました。炎症とともに熱も37~39℃台を行ったり来たりで、私の点滴タワーには最大6個の点滴が付いていました。

薬の錠剤が飲み込めなくなり、すべては点滴が頼りの状態で、主治医からこの薬だけは飲めませんかと言う薬も飲めませんでした。(何の薬だったかは失念しましたが、点滴で補給できない薬だったと思います)水を飲みこむのも大変で、もちろん話をすることもほとんどできませんでした。

痛みと熱にうなされ睡眠も浅い睡眠でほぼ1日中寝ていました。モルヒネ定量で注入して貰っていたのですが、看護師さんが来ると時々増量して貰い、少し深い眠りに入れるような感じでした。

Day10の血液検査の結果ですが、

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CRP驚異の20超え!!!でした。

それは口内炎は出来るは、腹痛、下痢は止まらないは、当たり前でした。白血球数も100しかなく、体の抵抗力が完全に奪われている状態でした。毎日抗生剤の投与と1日おきに赤血球と血小板の輸血を受け、命を繋いでいるような状態でした。

市川団十郎さんも’無限地獄’と表現していましたが、まさにその通りでした。

この状態がしばらく続きます。

この続きは次回。

 

 

 

皆さん、私は生きてますよ

皆さん、お久しぶりです。だいぶ間が空いてしまいました。(反省)ブログに書き込むのも約8か月ぶりです。

ご心配をおかけしておりますが、私は元気です。と言うか、完全に会社復帰を果たし、ほぼ以前通りの仕事ができるようになって来ました。

 

ブログをさぼっていた言い訳を少しさせてください。。。

2017年の7月からフルタイムで会社に復帰していましたが、当初は8時間の労働がきつく、家に帰るとソファーに倒れこむような疲労感でした。約1年半の闘病生活、入院生活で、体力が落ちてきていたことが原因でした。特に足は自分の思った通りに動いてくれないというか、人と歩調を合わせるのも大変なくらいで、まるで自分の足ではないような感覚でした。最近は少し走れるようにもなり、筋肉が戻ってきた実感があります。副反応の順応も大変ですが、入院中に落ちた筋肉のリハビリも大変で時間がかかると実感しました。

もう一つは一緒に闘病していて、先に退院して行った同僚がいたのですが、彼が再発してしまい、また入院してしまった事でした。彼は私とは違い、悪性リンパ腫でしたが、やはり血液の病気には変わりなく、私も再発の恐怖との闘いでした。

このまま、仕事を続けられるだろうかとか、再発の事とか、あれやこれや考えて(考えても仕方ない事なんですが)PCから離れてしまっていました。

 

さて、言い訳はこのくらいにして、現在の状況はこの病気に罹る前の健康な状態まであと少しという所まで来ました。復帰当初に比べて、疲労感も軽減されてきましたが、口内炎が少し残っているのと、左目のドライアイが残っている事が今の私の悩みです。口内炎の方は左の頬っぺたの裏に少し残っていて、大好きな酸辣湯麺とか辛口のカレーは食べれません。ドライアイは午後になると目の表面がゴロゴロするような感じで、夕方になるとシバシバ状態になります。眼科で目薬を貰っているのですが、左目だけ涙腺がなかなか戻ってくれないようです。

薬もネオーラルが40mgまで減らしてこれています。免疫抑制剤を飲んでいるので、他の感染防止の薬も数種類と、胃薬などを処方されています。

その間も月に一度検査と投薬の為の通院をしながらの復帰でした。術後1年5か月の現在のところ、順調な回復を果たしています。

1月段階でのデータを添付します。

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血液成分はほぼ正常に戻っています。主治医からも再発の兆候は見られないという事で、一安心です。

 

ようやくここまでたどり着けました。主治医、病院スタッフの皆さん、家族、仲間、みんなのおかげでここまでこれたと思います。

 

こんな体験、誰しもがする訳はないので、また、詳細をアップしていきますのでよろしくお願いします。毎日は無理かもしれませんが、なるべく隔日とか書き込むつもりです。この病気(急性骨髄性白血病)に悩む一人でも多くの方の参考になれば幸いです。

(さぼっていた自分に反省)

続く

 

 

3回目の入院その9

Day4~7 副反応

さて、口内炎が出始めたことを昨日書き込みましたが、その続きです。

移植直後から免疫抑制剤の投与を受けていたのですが、Day1とDay3には抗がん剤のメソトレキセートの投与も受けていました。この薬もかなり強いようで、体力の消耗と、脱毛なんかにも関係していたと思います。Day4の9月4日には赤血球の輸血も受けていました。この頃は口内炎がだんだん酷くなってきていたのですが、新たに両手の指先が痺れるような感覚が出てきました。これも副反応みたいでしたが、慣れるしかないようで、ひたすら指先を動かしていました。

咽喉の方にも炎症が広がり、体温も38度と高い状態でした。炎症反応を示すCRPと言う数値は7.55(通常は0.3以下)と非常に高い数値を示していました。声を出すのもきつかったので、家族が来ても筆談がメインでした。それも指先が麻痺かかっているので、字を書くのも大変でした。喉にまで炎症が進んでしまったので、食事はおろか、水を飲むことも出来なくなってしまいました。栄養も水分も点滴から摂取です。

Day5、9月5日の血球数は

WBC 110

Hb 7.5

Pl 51,000

とまだ白血球はほぼゼロ状態で、口内炎にしろ、腹痛にしろ、体内の菌と闘っているのは抗生物質が頼りでした。この5日目からはG-CSF剤と言う、白血球を増やす薬の投与も始まっていました。

6日目には追い打ちで、抗がん剤のメソトレキセートの投与もあり、ほぼ、ぐったり状態でした。赤血球の輸血も受け、少しはだるい感じが和らいだような気がしましたが、基本的にはベッドで寝たきり状態でした。

自分ではここまで酷くなるとは思ってもいなかったので、少し不安でした。少し起き上がれる時に、自分のアイデンティティーを書き記し、また、万一に備えて家族に伝えたい事をノートに書き記していました。

今、見ると、なんとも汚い字で、悪戦苦闘しながらよくこんなこと書けたな。と思います。

がんの治療を受けながら、ブログを書いている方々がいますが、こんなきつい治療で、私には無理でした。ただ、時折フェースブックに短く病状をアップしてましたが、今見返すとかなり見栄を張っていました。((笑) 家族のみならず、友人たちからの励ましのコメントには治療に負けない気力を貰ったと思います。

7日目の回診の時に、医師団の中の若い先生が、痛さを和らげるためモルヒネを使いましょう、と提案してくれ、私は承諾しました。この日から約10日間くらいモルヒネのお世話になることになりました。

点滴のスタンドには、薬剤を定量に流す装置が4台取り付けられていました。トイレに行く時や、シャワーを浴びる時など引っ張って行くのですが、かなりの重さでした。家内は「点滴タワーにまた薬が増えたわね。」なんて暢気な事を言っていましたが、私の状態とかを鑑みて内心不安だったろうと思います。

この日、髪の毛はおろか、体毛はほとんど抜け落ちていました。

また、続きは次回に書きます。