退院後の通院2
Day87 経過は?
さて、前回の経過観察から1週間が過ぎ、また診察を受けに行きました。その時のデータは
白血球数は正常値ですがやや低め、ヘモグロビンもようやく正常値に入って来ていて、順調に回復に向かうものと思っていました。
前の週同様にやはり通院して家に帰って来ると、ぐったりしていました。
これはまずいと思い、公園や河原を散歩するように心がけていましたが、約2Km歩くのに40分くらいかかっていました。以前の半分くらいの速さでしか歩けなかったのですが、それでも毎日歩き続けていました。
この頃処方されていた免疫抑制剤(ネオーラル)は100mgで、外出の際はマスク着用で、庭仕事のような土をいじることも禁止でした。
免疫抑制剤のほかに予防的に処方されていたのは抗真菌薬、抗ウイルス薬、肝臓の薬、抗生物質、胃薬、整腸剤、抗アレルギー薬、ビタミン剤など多岐にわたる薬を処方されていました。薬代は1週間で2万円・・・とかなり高額でした。会社の健康保険組合から限度額認定をしてもらっていたのですが、診療費や交通費と合わせると1か月10万円近い出費でした。会社は休職扱いになっていたので、収入は傷病手当金のみで、通常の給料の6割程度でした。幸いな事に、15年ほど前に保険を見直していて、がんでの入院時1日2万円、長期入院後の自宅療養は1日につき1万円と言う保険に入っていました。毎月請求する事も出来、保険金で何とか食つなぐことが出来ました。
思えば、入院していた時も、治療費の請求額は1か月100万を優に超えていました。抗がん剤はもとより、いろんな薬を使い放射線治療もし、高額なのは当たり前でしたが、時々保険適用外の検査とかもあり、かなりの金額を使っていました。
自分では、こんな大病をすることはないだろうと思っていましたが、実際に罹って初めて保険の有難みを感じました。
11月の最終週には、会社へ退院の報告に行ったのですが、会う人会う人から「良かった!」と言う言葉を貰い、私は千羽鶴のおかげですよと返していた事を思い出します。会社の保健師さんからも、「無事に退院出来て良かったです。でも、急に復帰なんて考えないで、ゆっくり復職してください。」と言われ、”生き残った” 実感を感じていました。実際には復職までの道のりは長くかかるのですが、また前に歩き出せる喜びを感じていました。
また次回へ続きます。
↓除菌、ウイルス対策に優れモノのセグリコです。
退院後の通院1
Day 80 通院するのが一仕事
さて、前々回に退院した所まで書き進めてきましたが、その3日後に診察の予約を入れてもらっていました。退院後生活の注意点の説明を受け、しばらくは週1回で経過観察をすることになっていました。この時のデータは、
白血球数が4650と規格値には入っているのですが、微妙に下がっていました。
感染予防のためマスク着用で最初に採血室に向かいます。いろんな科を含めて採血室でまとめて検査するシステムになっています。診察予約時間が10時でしたので9時には病院に着いていたのですが、採血室前は順番待ちの患者さんたちがほぼ満席状態で座っていました。受付を済ませ、順番が来るまで30分以上待ちました。採血カウンターは6ブースあり、看護師さんたちが手際よく採血してくれます。名前と生年月日の確認をし、その後5本の採血をしました。採血慣れしていたので、自分で血管を指定し注射針を刺してもらったところ、血管を指定する患者さんはめずらしいですと言われましたが、すんなりと5本の採血を終えました。この日も看護師さんからいい血管ですと褒めてもらいました。
採血を終え診察を受けるために内科へ移動するのですが、駐車場から歩き続けてきた足が辛くなってきていました。3か月の入院でここまで足が動かせなくなるなんて想像もつきませんでした。
内科の受付を済ませ、1時間くらい待ってようやく診察になりました。データ的には問題がない事と、免疫抑制剤の血中濃度も大丈夫と言う所見でした。白血球数が多少減ってきている事について質問すると、術後は増減するものらしく、経過を見ましょうという事で、翌週の予約と薬の処方を貰い診察が終了しました。
会計を済ませ、処方薬局に寄って薬を受け取ると12時を回っていました。私の足は久々に歩き回ったので限界でした。家に帰るころはへとへとになっていました。
家に帰れば入院していた時同様で、特に何をするでもなく、ソファーで横になっているかベッドで寝ているかの生活でしたので、この日はもっとしっかりリハビリしないと歩けないという事を痛切に感じました。
また、退院の時の説明を聞いて、家の中でも感染症予防のために、空気清浄機を購入しウイルス除去剤も定期的に購入するようになりました。また、まだ人混みには出たくなかったので、平日日中の公園とかをよろよろ散歩するようになってました。
また次回へと続きます。
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ちょっと話̪しが飛んで最近の話
Day576 ドライアイ治療
さて、また少し間が空いてしまいました。
娘の進学のために引っ越しの準備やら生活用品を揃えたりとか多忙な日々を過ごしていました。先週末、ご多分に漏れず引っ越し業者が見つからず、家のミニバンで引っ越しをしてきました。
引っ越しにあたり、車を運転しなければならないのでしたが、先々週辺りはドライアイがひどく、日中も片目で仕事しているような状態でしたので、片道4時間の運転が不安でした。
眼科にはかれこれ半年以上お世話になっていましたが、右目は完治したものの、左目が延々とドライアイの症状が続いてました。眼科の先生と治療していく中で、だいぶ良くはなって来ていると言われていたのですが、ここ数か月は午前中は大丈夫なのですが、午後になるとゴロゴロ感がひどくなり、引っ越しの前日に思い切って受診しました。
いつもは午前中に診察してもらっていたのですが、午後に診てもらったのは初めてで、こんなひどい状態は見たことがないと言われました。角膜の表面に糸状の目ヤニが張り付いていて、それがゴロゴロする原因でした。眼科の先生に取って貰うと楽になるのですが、やはり涙の量が足りないのが原因ですね、と言われドレンプラグを入れる決心をしました。
以前から眼科の先生との話の中で、涙の排出の穴をシリコンプラグで塞ぐのも出来ますと言う話をしていました。自分では涙腺が復活してくれれば必要が無いと考えていて、それを信じてせっせと目薬を差していました。しかし、翌日の運転の事を考えてこの日のうちにプラグを入れることにしました。
結果は、劇的ビフォー・アフターでした。翌日の運転も何ら支障がなく、逆に涙が溢れるくらいで、ゴロゴロ感が無くなりました。
こんなことなら、早くにやっておけばよかったと思いながら、無事に引っ越しを終えてきました。
山形も桜が咲き始めました。
また次回に続きます。
3回目の入院その30
DAY 75-77 退院
昨日、ようやくリハビリを開始した所まで書き込みましたが、歩く事がこんなに辛いかと思うほど体力は衰えていました。100mくらいゆっくり歩いては2.3分休憩しまた歩き出すの繰り返しでした。まともに歩けるようになるのはどれくらいかかるのだろうかと不安を抱えながらもとにかく病棟の廊下を歩き回っていました。めまいは相変わらずでしたが少しずつ改善して行っていました。72日目の採血データで白血球数が減っていたのも次第に回復していました。この頃のデータは、
WBC 4000前後
Hb 12前後
Pl 220000
と、ヘモグロビンが足りない位で正常値に入って来ていました。
ヘモグロビン不足という事もあって歩行リハビリして部屋に戻ると息が上がってました。同時に血中たんぱくも低かったので、病院食のほかに肉の缶詰とかさんまの缶詰を食べていました。味覚障害が続いていたので、味の濃い缶詰がおいしくて、病院食は残しても濃い味の缶詰をしっかり食べていました。
そんな様子を見てか、主治医から退院の話が出てきました。自宅療養で、通院で診察に切り替えましょう、と言われたときは、感無量でした。今の状態は安定しているので、いつでも退院していいという事で、移植後77日目の11月15日に退院することにしました。
迎えた11月15日は晴れでした。朝食を済ませ身支度をします。退院後の生活や、注意点などの冊子と、入院証明などを看護師さんから受け取り、準備をしていました。10時頃家内が向かいに来てくれ、荷物をまとめ住み慣れた(笑)病室を後にしました。ナースステーションの前でお世話になった医師団、看護師さん、看護補助の方々にお礼をし、会計窓口で駐車券を貰って病院を後にしました。この時の駐車場までの移動が遠い事、2回休憩を挟んでの乗車でした。
生きて家に帰れる幸せ。山形大学医学部の医療スタッフには感謝してもしきれない思いでした。
帰りに病院では食べられなかったちゃんぽんを食べて帰ったのですが、味覚障害の為、味はあまりわかりませんでした。
家に着くと愛犬が尻尾を振って駆け寄ってきました。愛犬も主の帰りを待ちわびていたらしく、私からしばらく離れようとしません。動物との接触は控えなければならなかったのですが、前日に家内が洗っていてくれて、思う存分甘えさせてあげることが出来ました。
第一の目標だった、「家に生きて帰る事」はようやくクリアできました。次の目標はリハビリで普通の生活が出来る事でした。実際にはかなりの時間を要することになるのですが、この日は帰れた幸せをかみしめていました。
また次回に続きます。
3回目の入院その29
DAY72-74 リハビリ
さて、先日眩暈がしだしたところまで書き進めていました。そのほかには特に重篤なGVHDは無く、皮膚の炎症も足のみになっていました。この頃のデータは
前の週まで8000~9000あった白血球数が2560まで下がっていました。特に体調が悪くなった自覚は無かったのですが、数字を見て心配になり主治医に聞いてみると、移植後に乱高下するのはよくある事らしく、次第に安定してきますとの事で一安心していました。それと、リハビリについて尋ねると、10階であれば病室から出てもよいとの事で、廊下を歩いてもよい許可が出ました。正確には「あれ、言ってませんでしたっけ?白血球が戻ったのでマスク着用の条件で廊下に出てもいいですよ」 って、もしかしてその前の週から出てもよかったのかもしれないと思いました。そんな事よりも、準無菌室から出られる嬉しさの方が大きく、久しぶりに廊下をリハビリ兼ねがね、散歩しました。
準無菌室の窓からは蔵王山がかすかに見えていましたが、廊下を一周するとエレベーターホールの窓から西に月山、山形市の街並みが見渡すことが出来ます。それだけでも気分が晴れて、ようやくここまでたどり着けたという思いでいっぱいでした。
10階の廊下は長方形に一周できるようになっており、おそらく一周300mくらいだと思いますが、足のリハビリ初日は2周するのがやっとでした。予想以上に足の筋肉が衰えており、自分でも歩き方が変だと判るぎこちない歩き方でした。1周するのに2回休憩を入れてゆっくりと歩いてました。部屋に戻ると両足のスネがバンバンに張って軽い筋肉痛を起こしていました。それでも再び歩き出すことが出来た喜びの方が大きかったと思います。2日目からは、2周を午前と午後の2回、計4週してました。足は元に戻るのか心配になっていました。
もう一つ、リハビリと言うか、髪の毛と髭が生えだしていました。髪の毛は産毛のような感じで生えだしていました。家内はひよこの毛みたいなどと笑っていました。毛穴もはっきりと見えるようになり、元に戻る予兆がしてました。
だんだんと回復しだして、指先の痛みもだいぶ和らいできていました。薬のタブレットから取り出すことも出来るようになって来ていました。
また次回へ続きます。
私が退院後使っていた除菌剤です。
3回目の入院その28
Day69-71 眩暈
昨日は私事ですが、いい事がありました。娘が大学受験をしていたのですが、後期にしてようやく合格しました。入院前、娘と二人で買い物に行ったときに、心配させまいと思い、絶対に帰ってくるから心配しないで勉強するようにと言った会話をしていたのを思い出しました。主治医から5年生存率20%の診断で、自分でも帰って来れるかどうか確たる自信があったわけでもないのですが、死なないから心配ない、と言った記憶があります。万一の時は、保険と遺族年金で何とかなるようにしておいたので、自分は医師に従い治療に専念するしかないと考えていました。
良い春到来と言った感じです。
さて、68日目にしてカテーテルを外した貰ったのですが、実はその数日前から多少めまいがしてました。ベッドに横になる時、起き上がる時に酷い眩暈が1分間くらい続きました。69日目にはひどくなり、寝ていて横向きになるだけでも眩暈がしていました。主治医と相談した結果、院内の耳鼻科の先生を紹介していただき受診しました。結果は、特にひどいGVHDと言うわけでは無かったようで、耳石がはがれて姿勢を変える時に耳石が動いていたようです。一度起きてしまえば特に何ともなく歩く事も出来て寝たり起きたりの時以外は支障はありませんでした。診察はVRのようなゴーグルをつけさせられ、寝たり起きたりをさせられます。ゴーグルには目の動きを録画するカメラが付いており、外した後に画像を見せてもらいました。モニターには、自分の目がぐるぐる回っている様子が再生されていました。これが眩暈の原因でした。耳鼻科の先生の話では典型的な眼振で、耳石がはがれている事が原因で、自然に元に戻りますとの診断でした。特に薬の処方もなく、様子を見ますということで、翌週に予約を入れて診察は終了しました。
健康な時にこんな症状になった事は無く、これもかるいGVHDの一種では無かったかと思います。めまいがすると、ベッドに横になった時の地球の重力がとても感じられるように思いました。そして、重力を感じるとすぐに眠りに落ちるように思いました。気を失う時ってこんな感覚なのだろうかなどと考えていたと思います。
また次回へ続きます。
ここで、今月の通院結果
かなり飛びますが、Day564
一昨日の3月16日は定期検診日でした。内科と眼科の検診を受けてきました。
内科受診の結果は、
ほぼほぼ正常値になりつつあります。ここ数か月は肝機能のγーGPTが突然上がったりしていましたが、今月は正常値までもう少しと言う所まで回復してきました。主治医の所見では、皮膚や口内炎のGVHDも安定していて、良好な経過との判断でした。今の悩みは以前も書いたかもしれませんが、左目の不調(ドライアイ、ゴロゴロ感)が気になる所です。目について尋ねてみるとGVHDの一種と言う事でした。自分では放射線と抗がん剤の影響で涙腺が破壊されててまだ回復しきっていないと思っていましたが、どうもこの症状もGVHDの一種だそうです。内科では免疫抑制剤を1日40mgから1日20mgまで減らしましょうという事で、もう少しで免疫抑制剤は無くなるのかなぁ、なんて思ってきた所です。
続く眼科ではやはり、造血幹細胞移植後に目の不調を訴えて来る患者さんが多数いることを教えてもらい、内科の主治医との話がつながりました。眼科も約1年ほどかかっているのですが、最初は両方の目が逆まつ毛のようにゴロゴロした状況で受診し、確かに逆まつ毛が何本かあり、抜いてもらいました。その時に角膜の表面とか診てもらったところ、ドライアイもあって、角膜の表面は擦りガラスのような状態になっていました。一昨日の受診では、だいぶきれいになって来ていて、右目は正常まで戻ってきました。左目のみがもう少しという所まで来ていたのですが、瞳の上の方の角膜が小さい範囲ではがれていて、それもあって充血しているとの所見でした。新しく、眼科用の軟膏を処方して貰い帰ってきました。
GVHDもいろいろありますが、時間をかけて順応するしかないようです。
通院のたびに思うのは、診察までに時間がかかることと、診療費、薬代が馬鹿にならない金額(昨日はトータル8万円)になることが、悩みです。近いうちにかかった費用について報告しようと思いますが、びっくりするくらいの金額になります。
昨日は、私の体調もかなり復活したこともあり、古くからの友人たちが軽く快気祝いを開催してくれました。前述の肝機能の件とまだ数種類の薬を服用している事もあり、コーラでの参加でしたがみんなに、よかったな、と言われるたびに生きている事を実感してきました。
また次回は3回目の入院の話に戻ります。