白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

3回目の入院その9

Day4~7 副反応

さて、口内炎が出始めたことを昨日書き込みましたが、その続きです。

移植直後から免疫抑制剤の投与を受けていたのですが、Day1とDay3には抗がん剤のメソトレキセートの投与も受けていました。この薬もかなり強いようで、体力の消耗と、脱毛なんかにも関係していたと思います。Day4の9月4日には赤血球の輸血も受けていました。この頃は口内炎がだんだん酷くなってきていたのですが、新たに両手の指先が痺れるような感覚が出てきました。これも副反応みたいでしたが、慣れるしかないようで、ひたすら指先を動かしていました。

咽喉の方にも炎症が広がり、体温も38度と高い状態でした。炎症反応を示すCRPと言う数値は7.55(通常は0.3以下)と非常に高い数値を示していました。声を出すのもきつかったので、家族が来ても筆談がメインでした。それも指先が麻痺かかっているので、字を書くのも大変でした。喉にまで炎症が進んでしまったので、食事はおろか、水を飲むことも出来なくなってしまいました。栄養も水分も点滴から摂取です。

Day5、9月5日の血球数は

WBC 110

Hb 7.5

Pl 51,000

とまだ白血球はほぼゼロ状態で、口内炎にしろ、腹痛にしろ、体内の菌と闘っているのは抗生物質が頼りでした。この5日目からはG-CSF剤と言う、白血球を増やす薬の投与も始まっていました。

6日目には追い打ちで、抗がん剤のメソトレキセートの投与もあり、ほぼ、ぐったり状態でした。赤血球の輸血も受け、少しはだるい感じが和らいだような気がしましたが、基本的にはベッドで寝たきり状態でした。

自分ではここまで酷くなるとは思ってもいなかったので、少し不安でした。少し起き上がれる時に、自分のアイデンティティーを書き記し、また、万一に備えて家族に伝えたい事をノートに書き記していました。

今、見ると、なんとも汚い字で、悪戦苦闘しながらよくこんなこと書けたな。と思います。

がんの治療を受けながら、ブログを書いている方々がいますが、こんなきつい治療で、私には無理でした。ただ、時折フェースブックに短く病状をアップしてましたが、今見返すとかなり見栄を張っていました。((笑) 家族のみならず、友人たちからの励ましのコメントには治療に負けない気力を貰ったと思います。

7日目の回診の時に、医師団の中の若い先生が、痛さを和らげるためモルヒネを使いましょう、と提案してくれ、私は承諾しました。この日から約10日間くらいモルヒネのお世話になることになりました。

点滴のスタンドには、薬剤を定量に流す装置が4台取り付けられていました。トイレに行く時や、シャワーを浴びる時など引っ張って行くのですが、かなりの重さでした。家内は「点滴タワーにまた薬が増えたわね。」なんて暢気な事を言っていましたが、私の状態とかを鑑みて内心不安だったろうと思います。

この日、髪の毛はおろか、体毛はほとんど抜け落ちていました。

また、続きは次回に書きます。

 

 

 

3回目の入院その8

Day1~3 移植後の経過

翌朝、顔を洗って鏡を見ると、かなり髪の毛が抜けてきたのがわかりました。

その日の午後には教授の回診がありました。

教授からは、「急性の拒絶反応もなく、ひとまず安心。」と言う説明があり、私は白血球のないしんどい体を起こして聞いていました。髪の毛が抜けてきたことを話すと、「大丈夫。3か月くらいで生え変わってくるので心配ないですよ。白髪が無くなって、真っ黒になるかもしれません。」とおっしゃっていました。教授が部屋を出ていくと、ちょっと起き上がっていただけだったのですが、かなりしんどくて眠りにつきました。

後で看護師さんが来た時に、「無理して起きることは無いんですよ。」と教えてくれましたが、ますは無事に移植が終わった感謝の気持ちで、きちんと顔を見て話したかったので、私は、きちんと起き上がって話をしていました。

その日の午後に血小板の輸血を受けました。血小板の数値が50000を切っていたので、胃腸とか、肝臓とか脳とか、万一出血すると血が止まらなくなるそうで、1時間くらいかけて輸血を受けました。

こうして献血で命が救われるんだなぁとつくづく思いました。大部屋にいた時も結構輸血を受ける患者さんが多かったので、私以外にも献血してくれる人たちに助けられて命を繋いでいる事に感謝の気持ちでいっぱいでした。

また、白血球が無いために口の中に口内炎が出来てきているのがわかりました。頬っぺたの内側がヒリヒリする感じが次第に強くなってきていました。看護師さんにはうがいをせっせとするように言われていましたが、なかなかその気力が起きません。せいぜい食事の後にようやく洗面台まで歩いて行ってうがいをするのがやっとでした。

2日目くらいまでは、少しの麺類くらいは食べることが出来ていましたが、3日目にはついに下痢になり、食欲もさっぱり無くなってしまいました。いわゆる急性の副反応だったと思います。

3日目からはほとんど食べ物を口にする事が出来なくなってきました。口内炎がのどの方にも回り、飲み込むのがつらくなってきていました。水などの水分を飲むのも痛さとの戦いでした。鏡を見ると頬っぺたのあたりが腫れていて、まるでおたふくかぜのようです。この頃から、急性の副反応を抑えるために免疫抑制剤の点滴も受けていました。

ただ、日々悪化する症状に耐える日々が続きます。

今日はここまでとしますが、次回は話をすることが出来なくなった事から書きたいと思います。

 

3回目の入院その7

Day-1 移植前日

抗がん剤が終わり、私は倦怠感と微熱で寝ている時間が長くなっていました。

移植前日には、赤血球の輸血を受けました。一昨日にも気を失い倒れそうになっていたので、本当に頭を打たなくてよかったですね。と看護師さんに言われながら、輸血を受けました。どうやら、赤血球の不足で脳に酸素が行かなくなり、気を失うようです。

食欲はほとんどなく、口にしたのは果物の缶詰くらいで、食事の代わりにハイカロリーの点滴で栄養を取っていました。水は、ミネラルウォーターかスポーツドリンクを飲んでいました。

無菌室では水道水が飲めません。洗面台には純水フィルターが付いており、その水は味も何もなく、まずくて飲めたものではありませんでした。洗面台の水は、歯磨きで口をゆすぐのと、顔を洗うくらいしか使いませんでした。

あと、食器やコップは使い捨てです。ちょっとした食べ物のカスなんかでもばい菌は数時間で繁殖してしまうそうです。血小板も少なく、白血球がほとんど”0”ですので、簡単に食あたりしてしまうそうです。それだけでも命に関わるようです。

移植前日にふらふらしながらシャワーも浴びました。

Day 0 移植

移植の日の朝、採血があり、血球の状態を検査しました。

結果は、

WBC 0

Hb 8.8

Pl 23000

ついに白血球はゼロになりました。恐るべし、放射線抗がん剤。午前中に移植が始まりました。移植と言っても、大それた手術をして臓器を入れ替えるわけでは無く、首のカテーテルから点滴で末梢血細胞を輸血のように入れていきます。ただし、やはり自分の細胞ではないので急激な拒絶反応が出ないかを確認するために心肺監視モニターを繋がれました。

その後、末梢血細胞が運ばれて来て、名前の確認とバーコードの照合をしてから点滴のチューブに繋ぎ、ゆっくりと点滴していきます。

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監視モニターを見ながら、傍らで看護師さんが付いています。急激なショックなどはありませんでしたが、このモニターを繋がれる事自体、非常に危ない可能性があるんだよなと思い、痛みとかはないのですが、リスクとの戦いがある事を再認識させられました。

弟の末梢血細胞は、凍結保存されていたものを解凍したばかりの様で首から入ってくるときに結構冷たさを感じました。

移植はほぼ1時間程度で終わり、看護師さんは点滴をまた生食に切り替えて、無事終わりましたよと言って、出ていきました。ただし、モニターは2,3日付けておくそうで、首のチューブ以外に左手の自由も奪われました。

後は定着するまで2-3週間待たなければなりません。その間は白血球数が極端に落ちているために粘膜障害が出るでしょうと予想されていました。その酷さは数日後にわかることとなります。抗がん剤放射線の影響で髪の毛も抜け始めていました。

次回は急性の副反応についてです。

 

 

 

3回目の入院その6

Day-3~-2 抗がん剤

8月28日。さて、放射線で弱った体に今度は強い抗がん剤でもっと痛めつけます。

抗がん剤はエンドキサンと言う強い薬で、1日3時間かけて点滴をします。最初に吐き気止め、その後エンドキサンの投与となります。投与初日に看護師さんから体調を聞かれましたが、放射線の影響で最悪だと伝えると、もう少し悪くなりますけど、頑張りましょうね。と励まされました。

点滴は特に体調悪くなるでもなく、終わったのですが、血圧が低くなったのか軽くめまいを覚えました。抗がん剤が終わってから、出血性膀胱炎の予防の薬も点滴されました。昼食を挟んだ点滴だったのですが、食欲はわかず、食べられたのはフルーツの管詰めくらいでした。

夕方、体重を測るためにベッドから出て、ドアの方まで歩いている途中で、貧血で頭が真っ白になり、倒れそうになりました。看護師さんが支えてくれたので、しりもちをついたくらいですが、看護師さんが居なかったら、倒れたまんま気を失っていたと思います。血小板の数値も落ちていたので、万一頭を打っていたら脳内出血の危険がありました。

これ以降、トイレに行くにもナースコールで、看護師さんを呼んで、ゆっくりと、手伝ってもらいながら3メートルの距離を歩いて行きました。移植が終わるまで、一人でトイレに行くのが出来ませんでした。

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翌日も同じ治療が続きます。

夜に38度くらいの熱が出たり、だんだん免疫が無くなってきているのがわかりました。自分の体がこれほど言う事を聞かなくなった経験は初めてでした。でも、これはまだ序の口でした。

感染症の予防のために、アシクロビル、ゾラビックス、クラビット、フルコナゾールなどを服用していました。とにかく間質性肺炎とか酷い炎症に罹らないように細心の注意が必要でした。この頃から、テレビも、ネットも、本を読むのも全く気力が無く、ただひたすら寝ているだけでした。

抗がん剤が終わったことで、白血球数は限りなくゼロに近づいていきます。

29日のデータは、

WBC 110 

Hb 8.3

Pl 39000

と本当に自分の免疫がほとんど無くなっていました。

次回は、造血幹細胞移植についてです。

 

 

3回目の入院その5

Day-7~-5 全身放射線照射

いよいよ、放射線照射の8月24日がやってきました。前日に放射線科の医師に全身への放射線照射の効果の説明とリスク、考えられる副作用、後遺症などの説明を受けていました。

効果は、病巣の縮小・消失・・・移植にあたって元々の骨髄細胞をたたいておく事。

副作用は、悪心・嘔吐・下痢・口の渇き・涙の減少・脱毛・肝障害・耳下炎などがあると説明を受けていました。

副作用に関しては抗がん剤で言われる副作用とダブるので、かなりキツそうですが、移植の成功率を上げ、再発率を抑えるにはぜひとも必要な前処置です。

覚悟を決めてと言うか、看護助師の方に半ば強制的に車椅子で放射線室に連れていかれます。実際は、歩いて行ける体力があるのですが、照射後急性のめまいとかが出るらしく、車椅子での送迎でした。1日に朝晩の2回、全身に約30分ほど放射線を浴びます。

放射線室は普通にレントゲン室のような感じで、ただし放射線発生機が横から照射されるようになっていました。私は、照射用のベッドに仰向けに寝かされ、周りをアクリルの板で囲われました。ベッド事、所定の位置まで移動して技師の方たちが退室すると部屋の照明を暗くされて、照射が開始されます。少しでも不安を和らげるためか、BGMが流れていました。照射が始まると、ピーンと言う高周波の音が聞こえれ来ます。

15分くらいで右側面の照射が終わると、ベッドごと180度回され、左側面からの照射をまた15分くらい受けます。

痛くもかゆくもなく、なんだか、宇宙人にさらわれて、宇宙船の中で検査をされているような気分でした。ただ、間違いなく放射線は私の体の中を通り抜けて、骨髄細胞にダメージを与えているはずでした。

照射が終わって無菌室に戻ると急性の耳下炎の予防のために30分くらいアイスノンで耳下腺のところを冷やす必要がありました。と同時に、氷か、氷菓子を口の中に含んで冷やしていました。私はアイスの実をなめつづけてました。

初日が終わり、身体の影響はそうでもないと思っていましたが、25日朝の血液データでは、

WBC 730

Hb 10.1

PL 92000

と、白血球はかなり減り始めていました。

2日目も同じ処置が続き、3日目になると、ダルさが襲ってきました。車いすでの送迎の意味がよくわかりました。骨髄が損傷を受け、血球を作る機能が無くなるとだんだん体に力が入らなくなってくるのがわかりました。

3日目の処置が終わるころには、自分の体が、自分じゃないような感覚、今まで通りに言う事を聞いてくれない感覚に襲われました。

身体が弱ってきた所に今度はトドメの抗がん剤と続きます。

抗がん剤の投与は次回に続きます。

 

3回目の入院その4

Day-8 無菌室へ移動

さて、カテーテルを設置した翌日、無菌室へ移動するのですが、その日の朝、びっくりする事が起きました。

準無菌室は2人部屋で、私の向かい側にも患者さんが居たのですが、夜明けあたりから苦しそうなうなり声のような呼吸になっているなと思っていました。私はカテーテルの違和感からあまり熟睡できず、うつらうつらしていて記憶は定かではないのですが、夜中の看護師さんの巡回の時に熱を測ってアイスノンをしていたように思います。6時の起床の巡回で看護師さんが数人と当直の医師が来て、心肺監視装置を付けたかと思うと、意識があるかどうかの呼びかけやら、集中治療室の準備やらを始めているようでした。

その患者さんはそのまま集中治療室に運ばれて行きました。

運ばれた後で看護師さんが来て、「驚かしてごめんなさいね。ダイハードさんとは違う病気ですから、安心して治療にあたって下さいね。具合が悪い時はすぐに教えてくださいね。」と言われましたが、やはり生きるか死ぬかの病気であることには違いなく、これからの移植に少し恐怖を覚えました。かと言って、移植しなければ何かの感染症で確実に死ぬことが予測できるので、覚悟を決めて前に進むしかありません。とにかく移植後、白血球数が上がってくるまでは、肺炎や他の感染症にかからないように細心の注意をしなければなりませんでした。

その日の午後に隣の無菌室に移動になりました。部屋は一人部屋にしては結構広く、真ん中にベットとテレビ台が置いてありました。窓は完全に閉じ切りで、天井からフィルターを通した風が1日中吹き降ろしています。窓の反対側に出入り口とシャワーブース、それにトイレがありました。廊下とはまた前室でドアがあり、そこで外来者は専用のスリッパに履き替えます。また、外来者は一度に2人までと制約がありました。スリッパに履き替えるのと、マスクをすること以外は、昔のような防塵服を着たりする必要は無いようでした。

窓はカーテンの代わりにリモコン式の電動のブラインドになっており、これからの治療がどれくらいきついのかを物語っていました。電気の点灯もリモコンで枕元に置いてあり、寝たきりでも必要最低限の事は出来るようになっていました。

この日から、無菌室の外には自由には出入りできません。家内はこの日からほぼ毎日のように来てくれて、買い物やらをお願いしていました。

翌日から、3日間、全身の放射線照射の前処理が始まります。次回へ続きます。

 

現在の私は、移植から10か月が経過し、明日からめでたく職場復帰を果たします。まだ、多少のGVHD(移植後副反応)は残っていますが、仕事に差し支えるほどではなくなって来ました。しばらくは内勤で、社内の技術的なレベルアップを図る仕組みつくりに専念し、体調が万全に戻るまでは出張とかはお預けです。

治療にあたってくれた主治医、医師団、看護師の皆様、家族、心配してくれた上司、諸先輩、同僚、友人に感謝します。

 

 

3回目の入院その3

Day -9 カテーテル

8月22日にカテーテルの設置をしました。正確には中心静脈カテーテル留置と言うそうです。これからの治療で薬剤の点滴、末梢血細胞の投与、輸血、栄養剤の投与など、腕からの点滴では投与に時間がかかり、薬が全身にいきわたるまでタイムラグがあるようですが、その時間を短くする事が出来るとの説明でした。

ヘタレの私は私の腕の血管は太いので、腕でダメですか?と2回聞きましたが、治療するに当たって必要ですと言われ、覚悟を決めました。

病院によって違うようでしたが、①鎖骨下、⓶内頚、③大腿と設置場所が3種類ありましたが、私は⓶の内頚でした。平たく言うと右首筋です。

処置前の午前中に入浴を済ませ、首のあたりを念入りに洗いました。11時頃に設置するはずでしたが、前の患者がてこずったらしく、私の番は12時近くになってから処置室に呼ばれました。その日は私のほかにもう一人いたそうですが、なかなか静脈が探せずにいたようでした。そんな話を聞くと私も何度も刺されるのではないかとドキドキ物でした。

ベッドに仰向けに寝かされ、首を左に曲げた状態で処置は始まりました。最初に首の周りを念入りに消毒され、穴の開いたカバーを掛けられます。局所麻酔の注射を打たれ、首の感覚がなくなった所で、設置開始です。横向きだったのでよく見えませんでしたが、超音波で血管を探って針を差し入れているようでした。

幸い、私は1回でうまくいったようで、後は輸液針を周りの皮膚に何カ所か縫い付けて、防水のラップ見たいのを2重に張り付けて完了です。麻酔が効いていても時々チクチクした感覚があったので、麻酔が切れた時の事を思うと憂鬱でした。

生理食塩水の点滴を繋がれ、処置室から病室まで車いすに乗せられ移動しました。1時間くらいで処置は終わりました。病室の戻ると、昼食が準備されていましたが、あまり食べたくはありませんでした。少しだけ食べて下げてもらい、その後、レントゲン室に車いすで連れていかれました。針が確実に血管に入っているかレントゲンで確認するとの事でした。  針はきちんと血管に入っていました。

麻酔が切れると首に鈍い痛みと言うか違和感がありました。看護師さんに聞くと、皆さん2日目には慣れてくるみたいですよ、との事。確かに翌日には違和感は残っていたものの、痛くて耐えられないと言うほどではありませんでした。

翌日からは無菌室に移動することになっていたので、1階のドトールでアイスコーヒーとシナモンロールを堪能しました。本当は本場の甘いシナボンが食べたかったのですが、それでも満足でした。翌日からの無菌室監禁に備えて、ささやかな壮行会でした。

次回は、無菌室に移動する所から書きます。