2回目の退院その2
小林麻央さんの事
まず、今日は小林麻央さんの訃報のニュースに驚きました。
帰宅し、子供さんたちとか、家族と一緒に写った写真とかアップされてて、抗がん剤が効いて快方に向かっているものだと思っていましたが、がんに勝てなかった事はさぞや悔しかったことと思います。同じくがんと戦った者としては、日々希望と絶望を繰り返して来た事は、重々察することが出来ます。いま私は、家族に囲まれ、もうすぐ仕事に復帰する所までたどり着きましたが、実際の入院中は生と死の狭間で覚悟したこともありました。がんと闘う治療と言うのも、強い薬や、放射線に耐える非常に過酷なものです。あの辛さは実際に治療を受けてみないとわからないと思います。
でも、ネットで見かける彼女の笑顔には、私自身も勇気づけられたし、あの笑顔ならきっと助かると信じてました。辛い治療が続いていたはずなのによく頑張ったと思います。心よりご冥福をお祈りします。
通院での抗がん剤
さて、5月29日より通院での抗がん剤の投与が始まりました。
投与前の血球数は
WBC1620
Hb 9.8
Pl 178000
まで多少回復していました。ただ、BLAST(がん細胞)は22%と高止まりでした。
29日は朝一に受付をし、処置室に呼ばれます。採血と体温測定、血圧測定、か血中酸素量を調べます。その後、主治医の問診を受け、体調が悪くなっていないことを確認してから抗がん剤の投与になります。
昨日、少し紹介した化学療法室に移動し、受付をすると、すぐに点滴用のブースに案内されました。最初に、生理食塩水の点滴が始まります。次に吐き気止めの点滴に繋ぎ替えられます。10分ほどで吐き気止めが終わると、院内薬局から抗がん剤(ビダーザ)が運ばれてきます。これを約40分かけて点滴を受けます。
私は、リクライニングソファーに座り、背もたれを倒しリラックスした状態で点滴を受けてました。テレビにはヘッドホンが付いており、NHK教育の大人の英会話とか仕事の英会話とか見ていました。時々様子を見に来る看護師さんがテレビを見て、めずらしいですね、と言われたのを覚えています。
私は海外駐在経験があり、入院前までは海外の営業も私の役割でしたので、英語はまあまあ話すことが出来ます。そして、この時は、早く復帰してまた世界で活躍したいと思っていました。まだ移植もしていないのに、気ばかりが焦っていたように思います。
点滴が終わると、針が刺さっていたところを5分くらい止血して終了です。ファイルを受け取り、会計を済ませて帰宅するのを5日間続けます。
毎日の支払いは、2万5000円!患者負担分の実費だけで、この金額です。また、飲み薬も処方されていて、その費用も月に8万円を超えていたと思います。思わぬ出費です。とはいえ、入院していた時はそれ以上の支払いがあったのですが。。。
総額とかは後日書くことにします。
抗がん剤が終わると、血圧が少し低下するようで軽いめまいが来ます。会計が終わるころには落ち着くのですが、ビダーザとはいえやはり抗がん剤でした。
今日はこの辺で。次回は抗がん剤終了時の血球数についてです。