白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

入院1回目その1

3月22日

ついに入院の日が来ました。前回の説明を受けたときに、入院は数か月に及ぶ可能性を言われてましたので、かなりいろいろな物を準備していきました。パジャマは病院のものを1日75円で借りられたので、洗濯の手間とかを考え、借りることにしました。他の身の回りの洗面用具などは、大学病院の入院の手引きに従い新品を買い揃えていきました。午前中に到着した私はコンシュルジュで入院のルールを一通り説明を受け、入院の書類にサインし、病室に案内されます。

第3内科の病室は最上階の10階西病棟でした。10階は病院内でも感染症予防のためフィルターを通した空気が常に供給されているという事で、安心して治療に専念してくださいとのことでした。4人部屋には先に2名の患者さんが居て、空きベットは窓側と通路側にひとつづつ有り、どちらでも構わないという事でしたので、窓側を選びました。田舎ですので、10階からの景色は眺めがよく、晴れていれば蔵王山が一望できました。担当の看護師さん、婦長さんの紹介を受け、主治医も教授から、女医さんに変更になりました。しかし、教授を含めたチーム体制で治療を進めるという事で、安心して治療に専念することができました。

昼食の病院食の後、今後の治療方針について説明を受けました。説明では、まず、現在の持病とかウイルスチェックを行い、明日からでも抗がん剤治療を開始するという内容でした。このころの病状は自覚症状は微熱(37度無いくらい)が続いてました。

血液を9本採られ、検査に回されます。結果はその日の夕方にわかって、血球の減少以外は問題なしという事で翌日からの抗がん剤治療が決まりました。

血球数は

WBC(白血球) 1510

Hb(ヘモグロビン)11.5

Pl(血小板)91

と低空飛行のままです。

抗がん剤は1クール7日間、3週開けて2クール目に入る予定、つまり4週単位でで進んでいきます。

翌日3月23日から私が受けたのは弱い抗がん剤で、ビダーザという薬でした。血球が突然少なくなる可能性もあるので、毎日様子を見ながらの投与となりました。再生不良性貧血から、骨髄異形成症候群という病気に進行して、急性骨髄性白血病(AML)に至っているとの事で、あまり強い抗がん剤だと骨髄が急変する可能性があるための薬剤の選択みたいでした。

左腕に点滴の針を刺され、固定されます。

抗がん剤のリスク説明を受け、最初に生理食塩水の点滴、炎症予防のステロイドの点滴、その後、ビダーザの点滴が始まります。ビダーザの点滴自体は1時間くらいで終わりました。しかし、点滴は1週間続くので、生食に繋ぎっ放しになりました。(泣)

このころは、薬で治ればなぁ、強い薬でも試していいんじゃないかと思っていたのですが、医師チームは骨髄移植まで持たせるための必要最低限の治療と考えていたようでした。それは、実際の移植の際受けた強い抗がん剤の辛さでよくわかることになります。

今思うと、移植に向けて体力を温存する事を優先させていたんだと思います。

次回は入院4日目の話に移っていきます。

f:id:Diehard1:20170609213816j:plain