白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

3回目の入院その4

Day-8 無菌室へ移動

さて、カテーテルを設置した翌日、無菌室へ移動するのですが、その日の朝、びっくりする事が起きました。

準無菌室は2人部屋で、私の向かい側にも患者さんが居たのですが、夜明けあたりから苦しそうなうなり声のような呼吸になっているなと思っていました。私はカテーテルの違和感からあまり熟睡できず、うつらうつらしていて記憶は定かではないのですが、夜中の看護師さんの巡回の時に熱を測ってアイスノンをしていたように思います。6時の起床の巡回で看護師さんが数人と当直の医師が来て、心肺監視装置を付けたかと思うと、意識があるかどうかの呼びかけやら、集中治療室の準備やらを始めているようでした。

その患者さんはそのまま集中治療室に運ばれて行きました。

運ばれた後で看護師さんが来て、「驚かしてごめんなさいね。ダイハードさんとは違う病気ですから、安心して治療にあたって下さいね。具合が悪い時はすぐに教えてくださいね。」と言われましたが、やはり生きるか死ぬかの病気であることには違いなく、これからの移植に少し恐怖を覚えました。かと言って、移植しなければ何かの感染症で確実に死ぬことが予測できるので、覚悟を決めて前に進むしかありません。とにかく移植後、白血球数が上がってくるまでは、肺炎や他の感染症にかからないように細心の注意をしなければなりませんでした。

その日の午後に隣の無菌室に移動になりました。部屋は一人部屋にしては結構広く、真ん中にベットとテレビ台が置いてありました。窓は完全に閉じ切りで、天井からフィルターを通した風が1日中吹き降ろしています。窓の反対側に出入り口とシャワーブース、それにトイレがありました。廊下とはまた前室でドアがあり、そこで外来者は専用のスリッパに履き替えます。また、外来者は一度に2人までと制約がありました。スリッパに履き替えるのと、マスクをすること以外は、昔のような防塵服を着たりする必要は無いようでした。

窓はカーテンの代わりにリモコン式の電動のブラインドになっており、これからの治療がどれくらいきついのかを物語っていました。電気の点灯もリモコンで枕元に置いてあり、寝たきりでも必要最低限の事は出来るようになっていました。

この日から、無菌室の外には自由には出入りできません。家内はこの日からほぼ毎日のように来てくれて、買い物やらをお願いしていました。

翌日から、3日間、全身の放射線照射の前処理が始まります。次回へ続きます。

 

現在の私は、移植から10か月が経過し、明日からめでたく職場復帰を果たします。まだ、多少のGVHD(移植後副反応)は残っていますが、仕事に差し支えるほどではなくなって来ました。しばらくは内勤で、社内の技術的なレベルアップを図る仕組みつくりに専念し、体調が万全に戻るまでは出張とかはお預けです。

治療にあたってくれた主治医、医師団、看護師の皆様、家族、心配してくれた上司、諸先輩、同僚、友人に感謝します。