白血病からの生還(データ付き)

白血病で幹細胞移植を受けた詳細の記録です。

大学病院受診4

電話

前回、3月8日にマルクを受けて2週間後の検査結果待ちだったのですが、翌週の3月14日の月曜日の午前中に、見知らぬ番号から着信があり、仕事中だったのですが、出てみると医学部の教授からの電話でした。

「大切な説明があるので、今日の午後にでも病院に来れないですか?」と言われ、その日の午後は来客が控えていたので翌日の午前中で予約をお願いしました。

 この時感じたのは、確実に良い知らせでは無いという事でした。この日の午後は来客があったにもかかわらず、心ここに非ず状態でした。上司に理由を説明し、翌日の休暇を貰いました。

いつもと違う診察室

翌日3月15日、これは尋常じゃないと感じた私は、教授の説明を聞くのに家内に一緒について来てもらいました。待合室で待っているといつもの診察室とは違う診察室に呼ばれました。私と家内が診察室に入ると、机の側の椅子に座るよう勧められました。教授は、

「今日は急にお呼び出ししてすみませんでした。」と淡々とした口調で切り出します。「先週のマルクの結果ですが、骨髄からがん細胞が見られました。どう言う事かと言うと、今までの診断で白血球減少症から再生不良性貧血に移行していると診ていたのですが、今回の結果で急性骨髄性白血病(M1)と診断します。ついては、明日からでも入院してもらい、治療を開始しましょう。」

頭から血の気が引いていくのがわかります。冷静になって、仕事の引継ぎやら入院準備やらしなきゃいけないと思い、3月22日からの入院とさせて貰いました。この日から長い闘病生活が始まるのですが、病気が病気だけに生きた心地がしない毎日が始まりました。

今、こうして思い出しながら書いているわけですが、この時は抗がん剤治療のみで助かるかもしれない位のかなり都合の良いポジティブシンキングをしていました。

結果から言うと、入院治療は3回、通算5か月の入院生活の始まりでした。1回目が抗がん剤治療で、2回目が歯痛で入院、自宅療養と通院での抗がん剤投与を挟んで3回目に造血幹細胞移植となるのですが、3月から今に至るまで休職することになります。

今は、移植後の副反応も落ち着いて来たので、多少会社に出社し、この7月から通常勤務できるようにリハビリ中です。(寝たきり期間が長かった為、筋肉が落ちてしまい歩く事とか、重いものを持つとかなかなか大変です。完全に戻るには結構時間がかかりそうです。一説によると入院期間の倍のリハビリ期間が必要とか。)

今回は病気の告知のみでしたので、データはありませんが、次回、1回目の入院の話に続きます。